メモ

ショートエッセイ的な箇条書き。

  • 今進めている、「図書館スタッフとしての新提案(ケータイサイトの設立)」と「研究室での短期決戦」。これは何としても成功させたい。
  • 周りの人がどんな言葉をかけてくれようとも、今の自分には不安しかない。そしてその不安が自分を前へと推し進める。
  • 協調性:能力のある自立した個人が、それぞれ役割を分担しながら、新たな成果を生み出そうとすること。最初に「協調」があるのではなく、あくまで自立した個人が集まって初めて成り立つ概念である。無責任な持ちつ持たれつの関係の中で組織を維持していくことは、協調とはいわない。
    • どんなときでも批判的視点を失わず、問題発見と前進的な提案ができるようにしなければならない。「自立した個人」という概念を尊重してこそ、健全な組織が成り立つ。
  • 責任を持たせてもらう、決定権を与えてもらう、ということは仕事を受ける上でとても重要である。そして、その責任を媒介するのはお金、すなわち給料である。
    • 逆に言えば、無償労働は無責任を生む。大学のサークル活動でトラブルが絶えない理由はここにあるのではないか。就職活動に影響するレベルまで追い込まれてる人間だっているのだから、払うべき対価はきちんと払うようにするべきだ。
    • アルバイトの多くはルーチンワークなので、この点を実感することは少ないだろう。図書館スタッフとして、プロジェクト業務を任せてもらったり、新しい提案を進めさせてもらったりすることは、つくづく特殊だと実感する。しかし、これがもし無給での活動だったとしたら、ここまできちんと取り組めただろうか。
  • 最近、「お前は自由でいいよなぁ」などと言われることが多い気がする。確かに、今の自分は所属組織のしがらみもないし、自由時間も山ほどあって、お金にも恵まれていて、成績にもゆとりがある。が、こう見えてここまで来る過程は一筋縄ではなかったし、切り捨ててきたものもたくさんある。「自由」の裏には、それを勝ち取るための「闘争」があり、常に「孤独」という暗い影があることを忘れてはいけない。
    • 「自由=良いもの」という認識がおおよそ無批判に受け入れられているが、もう一度繰り返すなら、自由は孤独と直結している。実際にはそこそこの組織に入って揉まれたりしているぐらいのほうが住みよいものだ。自分はそれをひたすら避けて今に至っているわけであり、自分が自由を選んだのは、ある意味で消去法的な選択でしかなかったのだ。
    • 山での休暇を思う存分謳歌できるようになっても、不整脈と晴れない孤独の悩みにさいなまれた日々の記憶と、今もつきまとい続ける孤独の影は、決して姿を消すことはない。今の楽しみは過去の苦痛によって支えられている。そしてまた同じことが繰り返されるだろう。
  • こういうことを書いていると、自分の脳みそがまだまだ大丈夫だと実感できる。