「日常の窓から」

いつもどこかに自然を探す自分がいる。


昨日は、夏らしいカラっとした陽気。まだ梅雨の雰囲気は残っていて、夕方近くになると青空とうろこ雲のコントラスト。おもわず立ち止まって見てしまうが、大学構内でぼけっと空を眺めてるなんて恥ずかしいから、すぐに歩き出して周りに溶け込む。

今日は、時折雨もぱらつく天気だったが、夕方には徐々に晴れてきて、遠くの比良山の山腹には雨のなごりの雲が掛かっていた。上にいればちょっとした雲海になりそうな雲の帯は、柔らかく比良山を包んでいた。思わずバイクを脇に停めて見入った。自宅に近づくとまた別の角度から見えるので、まっすぐ家に帰らずに川の堤防に上がって、またしばし見入る。山って、空って、雲って、やっぱり美しい。


僕は山を始める前から、空や山を眺めるのが好きだった。山を始めてからさらにその癖は強くなって、常に山や自然のことを思い浮かべていないと生きていけない体になってしまった。

だから、日常生活という狭い部屋の窓から首を精一杯出して、いつも美しい自然の風景を探している。空の色、鮮やかな緑、雲の形、遠くの山、道の脇に咲く花、芝生の上で遊ぶ小鳥・・・

花壇の花や寺社の紅葉は見ても、日常生活から垣間見える自然を愛でようとする人は、きっと少ない。日常に溶け込む自然は、多くの人にとって「見えているけど見えないもの」なのだろう。

だから、僕は人がいるところで立ち止まって空を見上げたり、道端の花や生き物を愛でるのを恥ずかしく感じる。


しかし、美しいものに目を向けずにはいられない。

縛られた日常の中でも何とか自由を探そうとする心が、きっとそうさせるのだろう。