複雑系複素関数力学の悪魔

自室がさながら研究室のようになっている友人がいる。ネズミやゴッキーがいたりする。

自分の場合は、部屋はだいたい普通。研究室はパソコンの中にある。

CPUとプログラミング言語の進歩が、こんなへなちょこ学生にもマンデルブロ集合をかじることを可能にした。パソコンが演算装置であることを実感する。

ついさっきのことだ。久々にマンデルブロ集合の研究に取り掛かった。プログラムを少しだけ書き換えて、ジュリア集合の面から規則性の真相を知ろうとした。

目的のパラメーターを入力し、ジュリア集合を映し出した。その瞬間にはどういう意味かよく分からなかった。しかし、数秒後にある事実に気づいたとき、大きな衝撃を受けた。初期値に関する規則性をさらにもうひとつ発見した。それも思いがけないものだった。

これまで、角度指定切り取りの初期値はただ1通りだけだと思っていたが、なんと他にもまだ4通りも隠れていた。まさか同じ挙動を示す複素数がはるか72度や144度も離れて存在するとは! 複素平面の海原には驚くべき対称性の鏡があった。

新展開が目の前に開けた。複雑系力学の悪魔がさらに偉大な姿となって降臨した。


ちょうど一年前にやけくそに数値を放り込んで偶然見つけた規則性が、今では数学の言葉できちんと書けるぐらい鮮明に分かってきた。その規則性が次数と初期値の密接な関係に依存していることも明らかになった。

ただし、これはパソコンによる近似(いわゆる実験数学)による「推論」でしかない。実験結果から考えるところではこの推論にほぼ間違いはないが、厳密な数学的証明はない。マンデルブロ集合が扱うのはいわゆる非線形複素関数だから、証明はおそらく手に負えないだろう。

証明は避けて「実験」に専念するとしても、特異点での挙動や吸引点の問題など、テーマはまだ山ほどある。

特にジュリア集合からのアプローチに関しては、先人の偉大な研究者たちがとっくに通り過ぎたテーマばかりだろう。仮に新発見があったとしても何かの役に立つとは思えない。しかし、これは決して無意味ではない。自力で発見すること自体にこそ価値がある。


頭では絶対に手の負えない、複素力学系複素平面上の回転運動が一度行われるたび、定数が作用して回転の位置がずれる。回転したと思ったらまたずれる。当然解析的には解けないし、近似しか方法はない。

表側に広がる複素集合のわずか一点にタッチするだけで、裏側には各々に対応する複素集合が広がる。ある一点をトレースすればそれはしばしば渦巻きにも似た謎めいた挙動を示す。

自分は見てしまった。悪魔の鉤爪を。数学の中に広がるもう一つの世界を。無限の複雑さを持つ境界線を。複雑な力学系に放り込まれた複素数があたかも生物のように振舞うさまを。今夜は、複雑系の悪魔が隠した5つの解を見た。


そこにあるのは退屈な平らな直線ではない。不規則かつ不気味に渦巻く複素数の大海原だ。


本日を以って研究を再開する。