草稿:科学と技術の人間論

残念ながら、私は哲学について深く学んだことはなく、ごく一般的な表面的な知識しか持っていません。また、私は理系の生徒であり、哲学などの人文系の学問分野からは遠い場所にいます。そのような意味で、いきなり哲学的な内容を論じるわけにはいきません。しかし、人間論とは何かを自分なりに考えることはできます。むしろ、何も知識がないからこそ、ゼロから純粋に考えることができるのではないか、とさえ思っています。

私が論じる内容の中心をなすのは、事実を見据える科学的視点と、未来への希望を見るSF的観点です。そして、私たちが未来に向けて必要な考え方は何なのかについて、自分なりに結論を導き出したいと思います。

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人類。ヒト。ホモ・サピエンス。哺乳類の一種。

今日までに私たち人類がここまで高度な文明を築くことができたのは、言うまでもなく高度に発展した科学と技術によるものが大きいといえます。(そして、これからも科学と技術は発展を続け、私たち人類の生活を豊かにし続けることでしょう) また、その発展のベースとなったものは、サルからの進化の中で習得した二足歩行によって道具が使えるようになったこと、というのは一般的に広く知られている事実です。しかし、それ以上に大きな役割を果たしたものがあります。

言語です。

例えば、ある道具の使い方(動物の骨を武器にするなど)を一人の原始人が発見したとしましょう。骨を武器に使う程度の話なら、身振り手振りで仲間に教えて伝えていくことは何とかできるでしょう。しかし、火の起こし方や狩りの作戦立てなどになると、言語の助けなしに意思疎通を行うことは決してできません。つまり、誰か一人が画期的な技術を思いついても、他の仲間に伝えることができなければ、その一人が死ねばその技術はそのまま消えてしまうのです。つまり、言語で仲間や子孫に技術やノウハウを伝えていくことによって、人類が世代を超えて連続的に進歩していくことが可能になったのです。この点が、人類が他の動物と異なる決定的な要素なのです。

ところが、正確には先ほどの「人類が進歩する」という表現は適切ではありません。というのも、進歩したのはあくまでも技術であって、人間そのものは何も進化したわけではないからです。もちろん、便利になる社会の中において体にもある程度の適応による変化は見られますが、DNAに関わる根本的な変化が起きたわけではないのです。

このことは、もしも今までの積み重ねてきた科学と技術が一気に消え去ったらどうなるだろうか、という疑問を自分自身に問いかけてみるだけですでに明らかでしょう。今の豊かな生活は、私たち人類そのものが進歩した成果ではなく、あくまでも世代ごとに少しずつ発展していった科学と技術の上によって生み出されているものなのです。ですから、「人間だ!」といって威張っている私たち自身は、あくまでも単なる一匹の哺乳類であって、実のところ何も偉くないのです。本当に偉いのは、これまでに積み上げられてきた文明―すなわち科学と技術、そしてその発展を根底から支えた言語です。

一言で表せば、文明が人類を乗り物にして進歩してきたのです。

若干の論理的な飛躍をしてしまいましたが、乱暴に言ってしまえばこのことは大体正しいのです。

(今日はこのぐらいで止めておこう。。。)
以下トピ並べ:
文化、ロボット、クローン、破壊、技術による永遠の発展。
方向性:
事実を見据える科学的視点と、未来を見据えるSF的観点を中心にさまざまなトピックで肉付けして構成。とにかく、締めは「異星の知的生命体との遭遇」にからめて、ひとつの人間論を作ります。