議論の方法について

今日、生命の授業の後半がディベートになりました。うちのクラスは積極的な人が多いので、(いつものように)熱い議論が繰り広げられました。

ここで、一つ思うことがあります。

ディベート形式の議論は、確かに熱くて楽しいものです。それに、YESとNOの二手に分かれるため一人一人の立場が明確になり、発言しやすくなります。

しかし、このディベートは議論の本来あるべき姿から外れているように思います。最大の理由は、ディベートのやり方そのものが破壊的要素の強いものだからです。その根源は、YESとNOとに分けることで両者の間に一種の戦争状態を作ることにあります。言い換えれば、ディベートの最終目標は対戦相手を論破する(=倒す)ことであって、ディベートの議題に対する最良解を求めようとすることではないからです。あくまで主役は「YESとNOの対決」なのです。そうでなくとも、多様な意見を持った個々人を単純にYESとNOの2パターンのみの立場によって拘束されるわけですから、出てくる答えが勝った側の立場にとって都合の良いものでしかないことは明らかです。これではただの権力争いのようなものです。生産性は、全くないとは言いませんが、きわめて低いといわざるを得ません。

一方、ディスカッションはどうでしょうか? 実際にディスカッション形式の議論をやったことがあるのですが、ディベートのような勢いはなく、話が詰まったりしらけたりする場面が多数見られました。結局、ほぼ全員が「ディベートのほうがやりやすいし面白いから、そっちに変えよ〜」という話になってしまったのです。これは、ディスカッションの主役が「議題に対する最了解を求めること」という抽象的なものだからです。対決なら相手を潰せば良いが、議題にまっすぐ向き合えとなるととたんに難しくなる、というわけです。

今の自分の力ではここまで書くのが限界です。それ以上は、頭の中に抽象的な考え方があるだけで形にできません。口で語ったら結構いけるんですけど・・・

では