堂々と自己矛盾をさらけ出す世間、対するは人間本来の姿!

問題は表題の通り! 書いてたら思わず気合が入って長くなりました^^;
熱い共感歓迎、厳しい批判は大歓迎、くだらん非難は即刻削除。

<Attention : 話があちこちに飛ぶので、それをご了承の上お願いします>

正直、僕は計算が苦手です。遅い、間違える、そしてコケる。この3拍子です。僕は普段から「数学の概念が云々・・・」と言いますが、そういう概念を考えることにしても、よくおデキになる優等生連中に比べればそれこそ屁のようなもんで、あちこちで引っかかって考え込んでしまうタチです。

人は、どこかの点で他人とは異なっていたいものです。言い換えれば、個性や差別化などといえましょうか。第1のキーワードはこの「個性を持つ」です。そうすると、どのように個性を作るのかがポイントになってきます。

尊敬すべき優等生の方々であれば、点数などの「数字」をどんどん上へ引っ張っていこうとするでしょう。ちょうど冷戦時代の米ソ軍拡競争のように。

あぁ〜つまらない! そんなばかばかしい戦争ごっこには、参加する気は毛頭ありません。それって、いわゆる体力の消耗? それとも精神の破壊? それ何て人間放棄!?

だから、僕は、自分の立つポジションを根本的に違うものにしました。ちなみに、英語で言うなら、これは"different"どころの違いではなく、"distinct"ぐらいの全く異なるものです。具体的に言うと、数学そのものを楽しむことにしたのです。時間がかかってもいいから、自分自身が納得できるまでじっくり立ち止まってかんがえるのです。

ここで第2のキーワード、「そのものを楽しむ」が登場しました。

ところで、ついさっき、勢いに乗って「人間放棄」という言葉を使ってしまいましたが、実は、アレは冗談ではありません。*1 言わせてもらいますが、点数を取るためだけに勉強するなんて、そんなのロボットと何が違うのでしょうか? それって人間のすることでしょうか? そもそも、そんな風に詰め込んだ知識がいつまでも残るはずがありません。

そうです、私たち人間の中核をなすべきものは、ほかでもない、感情と思考です! いわゆる「知性」というのは、この二つが一緒になって初めて生まれるものであって、これは人間の特権、さらに立ち返れば、人間本来の素直な姿です。(私は、感情のない思考を知性とは認めたくありません)

だから、点数は取れなくても、デキないヤツ扱いされても、僕は人間であることを捨てたくない、ロボットまがいの肉団子なんか御免だ! と強く強く願うのです。

「人間本来の姿」、すなわち知性。第3のキーワードです。

そもそも、話はそんな大げさではなくて、簡単に言うと、「それって本当に充実感感じてる?」とか、「Hey, do you really like it?」とか自分自身に聞いてみて、素直に答えられるかどうかです。そこで脳内で答えをすんなり出せなければ、どんなに高得点をゲットしていても、その時点で無条件に敗北が決定します。何に対する敗北か? それは人間としての自分自身への敗北に他なりません。

実は、こんなえらそうなことを抜かしている僕自身も、ほんの半年前ぐらいまでは点取り虫と大した差がない存在でした。なぜかというと、そのときは海外の大学を目指そうとして成績稼ぎに躍起になっていたからです。親には今ここで書いている件について散々警告されていましたが、年末になってようやく我に返り、今に至っています。にもかかわらず、看板には「そのものを楽しむ」という建前をでかでかと掲げていたのですから可笑しい話です。

当時は大きな矛盾を抱えつつも点数との両立ができていましたが、3年生の過酷なコースの中では、建前だけの薄っぺらな看板はいとも簡単に吹き飛ばされて、まったくのロボット受験生と化していたに違いありません。そもそも、点数と「そのものを楽しむ」の両方はそもそもそれ自体が相反するものであって、「大きな矛盾を抱えつつ」どころか、矛盾そのものなんだからどうしようもない問題だったわけです。

ここまで読んで共感してくださる方ならきっと理解していただけると思うのですが、実は、今僕がやっていることは非常に多くのエネルギーを使うものです。それも、受験とはまた違った形のエネルギーです。

なぜでしょうか? というのは、このやり方は、点数や成果をスグに求める世間の風潮とは全く逆の方向に進む行為だからです。たとえて言えば、新幹線延長計画が日々進んでいるこの世の中で、「最近の鉄道は旅情がない、新幹線を潰して鈍行列車を復活させろ!」と訴えてるようなもんです。どうですか? とんでもないでしょう? この「世間への逆行」が第4のキーワードになります

そして最後、キーワードをまとめてみると摩訶不思議な像が浮かび上がってきます。

個性を持とう⇒そのものを楽しもう⇒人間本来の姿⇒世間への逆行

あれれ、なんか変じゃありませんか? 感情と思考(つまり知性)を使って何かを純粋に楽しむのが人間の本来の姿なのに、その当たり前のことが、今の世間にとっては「逆行」であり「個性」につながってしまうんです。同じ人間同士の集まりが、人間本来の姿を失わせているなんて、いったいどういうことなのでしょう? 何が起こっているのでしょうか? 僕はこれを世間の重大な自己矛盾としてとらえます。みなさんはどうでしょうか?

もう自分でも訳が分かりません。もう寝ます。

P.S. 最後に付け加えておくと、こんなハチャメチャなマネをできるのは、受験をしなくても大学に上がれるという、非常に恵まれた環境を与えていただいているからです。これはまさに親のおかげに他ならないのであって、本当に感謝しています。もしそうでなければ、結局自分も世間の波に飲まれてしまっているに違いありません。だからこそ、なおさらこの特権を大切にしたいのです。

*1:「それ何て」という言葉を使うと誤解されても仕方がありませんかw