上下関係の強要を非難する

一週間後には雪の上に立つ。それが信じられない。

あの悪夢の4日間からまもなく8ヶ月。あの場では従順に従ったものの、あの後は憎悪の毎日が続いた。自分の考え方は帰宅後すぐさま元通りの方向に戻ったし、その後むしろ強められた。


密室の中で複数の人間が無力な一個人を攻撃するということは、あらゆる集団においても許されることではない。人の上に立つ者が本当に自分の信念や行動に自信を持っているのなら、開かれた議論の場で一個人から大勢の相手に向かって堂々と意見をぶつけ、あらゆる反対意見を受けて立つことが当然の振る舞いでなければならない。

その逆を行うということは、自分自身の考えや団体としての方針に明らかな自己矛盾があることを認識していながら、他人の服従を強要し続けるということに他ならない。仮にその方法で相手を従わせることができたとしても、それは表面上の服従にしか過ぎない。もし、それまで良好な信頼関係を築いてきたとしても、そのような行動はその信頼を一瞬にして崩壊させる。

団体行動を通して得られる結束感や達成感を否定するつもりはないし、むしろ自分はそれが大好きだ。しかし、団体行動の素晴らしさと上下関係の強要は全く無関係のことだ。団体が全体として成長していく中で、上下関係の強要は障害にしかならない。それが論旨である。


現役時代の自分はキャプテンとしてとことん無能な人間だったし、一つ下がやや問題アリな代だったりしたため言うことを聞いてもらえないこともしばしばあり、結局クラブ以外の理由も加わって鬱に近い状態となってクラブに出られなくなり、辞任を顧問に打診するところまで行った。(ちなみにそれは却下されたし、冬に向かってどうにか信頼を取り戻していき、最後は有終の美でめでたしめでたしとなったわけであるが・・・ 今思い返しても反省点の多い1年間であった。)

しかし、どんなに後輩たちが言うことを聞いてくれなくても、「先輩だから」というだけの理由で何かを押し付けたりはしなかった。ましてや、一人だけを呼び出して強権的な押し付けをしたことは一度も無い。後で散々陰口を叩かれると分かっていても、自分一人で後輩たちの前に出て行って理解してもらうよう求めていた。それが成功だったかといえば答えはNOだが、だからといって上下関係を強要していればさらに悪い結果となっていたはずだ。


一週間後、公の場でこの話をしようと思っています。しかし、上からの無言の圧力に臆せずに自分が自分でいられること、それを保つのは非常に難しいことです。


追記:合宿の雰囲気は様変わりしていました。こんな話をする必要は全くありませんでした。悪い指導者がいなくなったおかげです。素晴らしいことです。