回想録

2005年7月、オーストラリア・シドニー大学



シドニー大学が隔年で行う"International Science School for High School Students"、通称ISSには、150人近くの高校生たちが全世界から集められていた。

日本からは10人。当時高校2年生だった自分もその一員として参加する栄誉に浴することができた。それが必然だったのか、単なるラッキーだったのかは今も分からない。

しかし、とにかく自分はそこにいた。


刺激的なレクチャーやアクティビティ。熱気が立ち込めるレクチャールームでは、講義後に次々と質問が飛び出していた。負けじと自分もその中に飛び込んでいった。

刺激的な他国の生徒たち、刺激的な教授陣、そして刺激的な9人の日本人同志たち。そこにいる人々全てが個性を持っていた。

刺激的な青空。刺激的なシドニーの町並み。そして別の意味で刺激的だった食事・・・

全てが刺激的で素晴らしかった。




帰国後、あの夢のような2週間は自分にとって何だったのか、何度も考えた。そして、だいぶ経ってから、ひとつの結論に行き着いた。

何も学んではいなかった。ただ、感じていたのだ、と。


いつか自分が死ぬとき、あのときに聴いたレクチャーや交わした会話の内容が何一つ思い出せなくなっていたとしても、最後に駆け抜ける記憶の中に間違いなくはそれはある。自分が自分である最後の時まで、あのときに見たもの、感じたものは全て自分の血肉そのものになっているから。

血肉になったものは言葉に換えられない。それゆえ、今の自分はISSの話を他人にすることを躊躇する。




ところで、このISSに参加すると、帰国後に鬱に似た症状を出す者がいるらしい。

それは、あまりにもISSが素晴らしすぎて、現実のギャップに苦しむためだそうだ。

自分の場合も、他の理由が重なって8ヵ月後の高3初頭に発症した。ISSでの生き生きとした自分と、落ち込みきったボロボロの自分、その埋まらない差が辛くて仕方が無かった。


そして、今もそれを乗り越えられずにいる。

「自分が確かにここにいる」と実感できたISSでの2週間、そしてSSPで過ごした2年間。自分を他の誰かと取り替えることは決してできないという自信があった。

片や、自分の居場所や誇りを見つけられない今。ここにいる者が自分である必要はない。今すぐ他の人間が置き換わっても何の問題も無い。こんな毎日を過ごすことなんて誰にだってできる。


しかし、それを大学や環境のせいにしてきたのはまさしく詭弁だった。

今の自分がここまで落ちたのは、結局のところ身から出た錆だったのだ。






瞳を輝かせて一生懸命頑張っていたあの日の自分は二度と戻ってこない。

あの日の自分はもう死んだのだから。