立山雷鳥沢敗退記 8/22-23

8月22日金曜日、予報通りの美しい秋空が広がった。予報ではその後は若干の雨、そして縦走の山場に差し掛かる頃に晴れになると出ていた。

今回の縦走は、立山から薬師岳黒部五郎岳槍ヶ岳を越えて、8月末に上高地へ下山する予定だった。


地元の一番列車に乗り込み、米原から北陸本線を乗り継いで、富山へ向かう。鈍行の長旅は慣れたものだ。

富山ではお約束の駅そば。立山そば。が、まず店員の愛想があまりにも悪くてムカッとくる。で、天ぷらそばを頼んだのだが、出てきたのはただの天かすに小さなえびが少し混じったようなしょぼい天ぷらが乗ったそば。で、販売機を良く見ると隣に「かきあげそば」のボタンが。松本の駅そばは、「天ぷらそば」で頼むとかきあげが乗って出てくるので、ついクセで勘違いしてしまったのだった。まぁこれは自分のミスだったので諦めがついた。このそばの味は、若干薄めで好みではなかった。

やはり松本・中津川の濃い口ダシこそが最強だ。これは間違いない。

地方電鉄に乗る前に、ますのすしを買った。駅弁公認のもののほかに、おみやげ店に行けば他にも複数種類のますのすしが置いてある。2年前はおみやげ店のものを買ったのだが、今回は駅弁公認のものを購入。今夜の夕食としてザックに入れた。

さて、ここからアルペンルートに入る。電車、ケーブルカー、高原バスを乗り継いで立山室堂2400mまで上がる。公共交通で上がれる高度としては最高だ。上高地よりも1000m近く高い。

山に入っていくに従って天気は悪くなる。果たして室堂に着いたときにはガスガスだった。この先が思いやられる天気だ。

ターミナルなどの設備は昭和の雰囲気を感じさせるものだった。全体的に薄暗い印象だ。上高地が新しい設備の洗練された雰囲気を持つのとは対照的だ。(上高地は近年大掛かりな設備更新をやったそうだ)

とりあえず雷鳥沢キャンプ場を目指す。30分〜1時間の行程。意外と下りが急で弱点の右膝が刺激されるので、急遽ダブルストックを引っ張り出して慎重に下る。途中で通った地獄谷はまさに地獄だ。硫黄ガスが凄まじく、1時間以上留まれば脳みそがいかれてしまうだろう。むきたてのゆで卵のにおいを100倍に増幅したものと考えてもらえれば差し支えない。

休前日とあって、雷鳥沢キャンプ場には30張ほどのテントがあった。奥の方の静かなところを狙ってテントを設営する。

夕食は富山で買ったますのすしとお吸い物。駅弁公認のますのすしは、どうやら保存料が使ってあるらしく、調味料無しでそのまま食べるには味が良くない。しょうゆをぶっかけて食べれば、ますの味が引き立って非常においしい。

17時を過ぎたので、携帯で天気予報を仕入れる。明日は「晴れ時々くもり」。キター!(AA略) 週間予報は11時現在のものと変わらず、あさってだけ「くもり時々雨」があるほかは「くもり時々晴れ」である。これはいい流れだ。そのときはそう信じて疑わなかった。

さて、その後は温泉に行った。雷鳥沢ヒュッテ。500円だったかな? 設備こそ古いが、泉質は最高だ。窓からは立山連峰が見える。ガスは徐々に取れてきたようだ。

温泉から戻る頃になると、すっかり暗くなっていたが、くもはすっかり取れて青空が出ていた。立山も全て見渡せるようになっていた。これは明日に期待である。

下界の朝就寝昼起床生活から抜け出すのは大変だ。出発日の未明は一睡もせずにネットサーフィンなどで時間をつぶしていた。さすがに3時ぐらいになれば寝れるのだが、どうせ一番列車に乗るには5時起床であり、寝過ごすリスクが大きいし、起きれたとしても倦怠感が著しくなってしまう。よって、あえて寝ない選択を取った。そんなわけで、電車の中でもウトウト眠ってはいたが、睡眠不足に変わりは無い。翌日は4時起床。ならば19時には寝て9時間睡眠が欲しい。

実際には、19時過ぎに寝袋のなかに入って眠りに着いた。




夜中に目が覚めた。最初は0時ごろに目が覚めたが、そのときは再びすぐに眠りに落ちたらしい。次に2時ごろに目が覚めたときは、なかなか寝付けなかった。トイレが若干遠いので行くのが億劫だったのだが、眠れないうちに目がさえてしまったのでトイレに立った。

帰ってくると、ちょうどテントを雨が叩き始めた。これは参った。そう思いながら再び眠った。


そして、予定通り4時に起床。雨がテントを叩いている。それも結構な勢いだ。常念乗越のときは出発前に雨が上がって問題なく出発できた経験もあるので、とりあえず時間稼ぎも兼ねて5時までもう一眠りすることにする。

しかし、5時になっても雨は収まらず、それどころか強くなってきた。風もかなり強い。雨・風ともに山ではよくあるぐらいのレベルではあるが、下界に持っていけばかなり立派なものだ。

そして、運命の5時発表の天気予報。ん〜っと、何々? 「雨」・・・ んじゃこりゃぁ〜〜〜〜っ! まさかの大逆転w もしかしてと思って雨レーダーを見ても惨憺たる状況であった。これでは出発はできない。場合によってはトンボ帰りすることも覚悟して、とりあえず今日は停滞を決め込んだ。

まさか風雨に見舞われるとは思わなかったので、フライシートの固定が不十分だったため、重い石を持ってきてフライシートを補強する。これで風が吹いてもフライと内張りが張り付くことは無くなり、随分快適になった。

しかし暇だ。暇つぶしといえば、本とラジオしかない。幸いにも本はカールセーガン「惑星へ」を上下ともに持ってきていたので今日明日いっぱいはつぶせる。ラジオは相変わらずオリンピックで盛り上がっていた。「惑星へ」は非常に面白いので退屈しない。さすがに本を読む姿勢を続けていると疲れるので、今度はラジオをつけて、登山地図を見ながらいろいろと思案をする。そんな感じでだらだらと時間をつぶした。

10時ごろになるとピタリと雨が止んだが、今からでは出発はできない。とりあえず我慢していたトイレを済ませ、やれやれとため息をつきながら周りの景色を見渡す。雨でもガスでも、山というのはやはり美しいのだ。

そして、11時は週間予報が発表される時間だ。期待と不安を胸に、そのページを開いた。


見事に晴れマークが全て消えていた。それどころか、雨マークの羅列だった。近隣の県の予報も見たが同じだった。

こんな雨の中の山行は絶対に嫌だ。今撤退すれば被害は最小限で済む。撤退というのは悪い選択だが、撤退せずに強行するのはもっと悪い。

すぐさま「えきから時刻表」で帰路を調べてみると、18時までに富山駅に着ければ鈍行でもその日のうちに帰宅できる。アルペンルートで渋滞して3時間か4時間かかるとしても、今から準備すれば18時富山駅にはまず間に合う。

この瞬間に撤退を決意した。

自宅に「帰る」という旨の連絡をし、直ちに出発の準備にかかった。

確かにくやしかったが、敗北感のようなものは感じなかった。天気にはどうやっても逆らえないのだ。やはり、「まだ休みは1ヶ月も残っている。まだチャンスはある。」という安心感は大きかった。


室堂に戻る道は標高差100mの登りになる。水を吸ったテントが重い。来たときとは違う道を通って行く。こんな天気でもすれ違う人はそれなりにいた。

室堂ターミナルには13時過ぎに着いた。おおよそ予定通りだ。今日は空いているので好きな便に乗れるとのことで、14時室堂発のバスに乗ることにした。今回はあくまで「敗退」であるから、おみやげは買わなかった。荷物の整理などをしているうちに時間がやってきた。

バスは韓国人団体も同乗してほぼ満員となった。帰りのバスからは、富山市方面がきれいに見渡せた。下界は晴れのようだ。

「また来るよ」と思いながら、車窓を眺める。弥陀ヶ原高原から降りて樹林帯に入るあたりからは、しばらくウトウトと眠っていた。ケーブルカーはほぼ満員でたちっぱだったが、電車はやはりガラガラだった。バスの中でよく眠ったおかげで、のどかな車窓を眺めていた。

富山には16時過ぎに着いた。テントの中で立てた予想がほぼ当たった。電光掲示板を確認し、敦賀行きの各駅停車に乗ることにする。ぶち抜きで長距離を運行してくれる列車は非常にありがたい。(この区間は、途中金沢と福井で乗り換えになることが多く、そのたびにザックの運搬と席取りの心配をしなければならない。今回でも行きのときがそうだった。ちなみに、中1の冬には近江今津直江津の5時間列車に乗ったことがある。その後のダイヤ改正で今は無いらしい。)

発車30分前にはホームに入ってくるとのことで、それにあわせてホームに行く。すでに列車はそこにいた。先に福井行きが発車するので、敦賀行きの車内にはまだ誰もいない。好きな席を選んで、ザックを網棚に上げ、ドサッと座り込んでくつろぐ。発車時にはボックスに1人程度の入り込みになった。

あとは本を読んだりお菓子を食べたり寝たりして、ぐうたらな鈍行旅を楽しんだ。その後の乗り換えは米原敦賀だけで非常に楽だった。


そして今日も週間予報とのにらめっこ。この調子で行けばあと3日間で雨マークが全てはけるのだが、いかに。