社会系学問がややこしい理由

文系学問、特に社会系学問は、しばしば「答えが一つに定まらない」などと言われ、理系人にはやや近づきにくい存在になっています。それが文系の宿命であり面白さでもあるのですが、では、そのややこしさの原因は果たして何なのでしょうか?
それに対する答えもまた人それぞれで、それこそ無数に解答が作れると思うのですが、僕は、それらの複雑さが「前提や定義が立場によって全く異なる」ということに起因すると考えます。

例えば、数学のユークリッド幾何学では、5つの公理(前提)を出発点としてさまざまな定理がそこから導き出されています。私たちが学んでいる一般的な幾何学はこのようにして成り立っているので、人によって三角形の内角の和が異なったりはしないわけです。

ところが、ユークリッド幾何学は通常の平面と空間のみで使えるものであり、それらがゆがんでいる場合には使えません。(例えば、球面で平行線を描くことはできませんよね) この場合は、そこから導き出される定理も全く異なったものとなってしまいます。これが非ユークリッド幾何学です。

つまり、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の間には全く互換性がなく、要するに「両者の間では話が通じない」というわけです。

このようなことが日常茶飯事として起こっているのが、社会系学問です。こと現実の政治の世界では、この問題はきわめて顕著です。

この先の話は面倒くさいのでここでやめます。すいません