『ユートピア』

ユートピア

この言葉の意味は皆さんもご存知だと思います。「想像上の理想的な社会。理想郷。無何有郷」という意味ですね。(広辞苑第5版より)

しかし、実は、この言葉がトマス・モアによる造語であり、今日紹介する『ユートピア』という本こそが、ほかでもないその源流であることは、あまり知られていないのかもしれません。

この本が登場したのは、今から500年ほど前の1516年のことです。著者はイギリスのトマス・モア。この本は、イギリス文学の歴史的なひとつの作品であるとともに、社会思想上でも偉大な成果を残したものです。特に、社会主義の源流として。

現在の一般的な考え方として、ユートピアという言葉はとても良い響きのする言葉であり、多くの人がそのような社会を望むものでしょう。

しかし、彼の描いたユートピアという社会は、現在の私たちがユートピアという言葉を聞いて思い浮かべるイメージとは、大きくかけ離れています。

全国民が一日6時間の労働に精を出し、余暇は自然に触れ合ったり農作業をしたり勉強をしたりする。人々の知能レベルや倫理観は非常に高く、派手なその時だけの楽しみの遊びは、その社会には一切存在せず、すべて排斥されている。飢餓や戦争の恐怖がない代わりに、さまざまな規則や義務が付きまとう。民主主義はほとんど存在せず、あちこちで絶対服従の関係が見られる。しかし、人々はそんな社会の中で高いレベルの生活を送っている。

モアが描いたのはそのような社会像であって、まさに、すべてが純粋に磨き上げられた、非常に程度の高い人間社会が、モアの理想として高々と掲げられたのです。

そんなわけで、残念ながら、モアが描いた社会は今の私たちには到底受け入れがたいものといわざるを得ません。資本主義のもたらした派手で豊かな生活と、この禁欲的な理想社会を比較すれば、どちらが人間の欲を満たしてくれるかは明らかなことです。

しかし、だからといって、そんなモアの思想を、「所詮は原始時代の村社会でしかない」などと切り捨てたり、「非人間的な管理社会の色彩が強い」と安易に判断したりする考え方はいかがなものでしょうか。

それは別の角度があるはずです。つまり、モアは、はるか未来の人間と社会の姿を見出そうとしていたのではないか。

その視点から、モアは当時の社会に向かって、このような理想社会を対照させ、今の人類がいかに未熟で更なる本質的な進化が必要であるかを訴えていたのではないでしょうか。そして、社会が今も同じことを繰り返している以上、この本が古くなることは決してないでしょう。資本主義と民主主義では、人類が数億年単位での繁栄を勝ち取っていくことはどう考えても不可能だからです。

しかし、これから数万年の単位で人間が一歩ずつでも進化していくことができれば、モアが描いたような、長く続く平和な社会が生まれてくるのかもしれません。階段を一段ずつ登っていきましょう。

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)

ユートピア (岩波文庫 赤202-1)