資本論 第2篇「貨幣の資本への転化」

合宿前に読み終わっていた部分ですが、まとめは時間がなくて書けていませんでした。

<当然ながら、高校生ごときが一度読んだだけで完璧かつ正確に理解できるような易しい代物ではないので、誤解や間違いがある場合も多いと思います。ご了承ください。>

この部分は比較的短い。文庫本で約50ページである。

そして、マルクスの冒頭はいつも明快である。

商品流通は資本の出発点である。(岩波文庫版 第1分冊 p255)

一般的な商品流通の形は商品-貨幣-商品であるが、マルクスは「第二の特殊なちがった形態」を紹介する。それは、貨幣-商品-貨幣(G-W-G)である。この流通の後半において、貨幣は貨幣となって戻ることで資本へと転化される。

この運動は単に商品流通の逆というわけではない。商品流通の最終目的が使用価値であるのに対して、この流通(G-W-G)は商品に内在する交換価値そのものを目的としている。(商品流通は自分にとって不要な物を売って必要なものを得るための行為だが、G-W-Gでは貨幣という同じものが戻るだけであり、何ら質的に変わったものではない)

その上で、G-W-Gの中で儲けを生じさせる場合に、G-W-(G+ΔG')を考えるとき、ΔG'を剰余価値と呼ぶことにする。剰余価値の付加によって、価値は価値増殖をなすこととなり、G-W-Gの運動がこの価値を資本に転化するのである。

ところが、実際の市場での交換においてはこのことは意味をなさない。なぜなら、全ての商品所有者・貨幣所有者が同様に儲けを得ようと動けば、最終的には相殺されてしまうためである。

商品交換は、その純粋なる態容においては、等価の交換であって、したがって、価値を増すための手段ではない。(岩波文庫版 第1分冊 p276)

だから、考えたいように、どうにでも考えてみるが良い。総計はいつも同一である。等価が交換されるとすれば、剰余価値は成立せず、非等価が交換されるとしても、また何らの剰余価値も成立しない。流通または商品交換は、何らの価値を生まない。(同 p284)

では、一体何が剰余価値を生み出すのか?

それは、労働である。「現在の価値に新しい価値を、新しい労働によって付け加えるのである」

純粋な意味で、労働も一つの商品であり、流通・商品交換の部面に関しては平等で自由である。しかし、剰余価値の生産過程である労働力の消費は、その部面の外で行われる。ここが重要である。詳しいことはマルクスの言葉に任せたい:

労働力の消費過程は、同時に商品と剰余価値の生産過程である。労働力の消費は、他のすべての商品の消費と同じく、市場または流通部面の外で行われる。それゆえに、われわれは貨幣所有者や労働力所有者と一緒に、この喧しい、見かけだけの大騒ぎの行われている、そして誰の目にもとまる部面をすてて、この二人にしたがって、かくれた生産の場所に行こう。その入り口には「無用の者入るべからず」と書いてある。ここでは、ただ資本がどういう風に生産しているかを示しているだけでなく、人はどうして資本そのものを生産してるかが見られる。貨殖の秘密も、ついに明るみに出ざるをえない。
岩波文庫版 第1分冊 p305)

第1分冊はこの第2篇をもって終わる。第3篇「絶対的剰余価値の生産」から、いよいよ謎解きが始まる。